だから、私は写真を撮る*

先日、お友達に教えてもらった占星術のブログ
https://starpeople.jp/synchrohoroscopes/top/

かとうふみえさん
そのお友達の先輩にあたる方です

このお友達もとっても素敵な感性を持っている人で
なかなか会える機会がないのですが私は一方的にとても慕っていて笑
(私、人見知りなので、そんなふうに見えてないと思いますが笑)
かとうさんのブログも教えてもらってからいつも読んでいます

実はこの前の満月の日から心がざわざわしだして
今週入ったあたりから本格的にいろんなことが
頭をグルグルまわりだしていて・・・

具体的にいうと自分への問いかけがすごいです

自分で自分に「どうしてそれをやるの?」「それをやってどうしたいの?」
「どうしてそう感じているかわかっているの?」などなど自分が自分に問うてきます・・・
(気持ち悪い人だなーと思った人はここで読むの終了してください笑)

風の時代に向けて心が動き始めているのか
自分がどうしてこんな生き方をしているか
確認したい気持ちが大きい

なので、9月の星廻りと私の心模様から
今この時期に自分の中で確認しておきたいこと
アウトプットしなきゃ!って思ったこと
今から書いていきたいと思います
長いので覚悟して読んでねっ!!!

 

【だから、私は写真を撮る*】

「生きること」は本当にたいへんなこと。命って、はかない。

だけど、”命の儚さ・大切さ・尊さ” ”生きている奇跡”

って、パッと言葉で表現したところでピンとこない

だって生きている私にとって「生きていること」は大前提の当たり前であるから

よっぽど身近に命がなくなる瞬間を目の当たりにしていたり
命について深く考えるような環境にでもない限り
頭で事務的に処理される情報として終わってしまう

けど、実際のところそれでよくて
常に生命の儚さに触れていたら
きっと精神が病んでしまうと思うから

ふだんは当たり前に生きていればそれでいい

ただ、そうやって当たり前に生きていても
やっぱり疲れてくることってある

そんなとき、確かな癒しとなってくれるもの
ゆるぎない支えとなってくれるもの

それは「人との繋がり」

落ち込んだとき友達と飲みに行く
家族と一緒にのんびり過ごす
一人でカフェに行って、店員さんの気遣いにホッと心休まる

どんなシーンであっても
癒しは人のあたたかさから
生まれていると思う

現代社会は本当に生きるのがたいへん
社会のシステム的にも風潮的にも

上手に生きられる人ももちろんいると思う
でも、それが分からず違和感にすら気づかずに
生きている人もまだたくさんいると思う

それで疲れてしまうんだ

上手に生きられることが良くて
気づかないことがダメとかじゃなくて
ただ、疲れたまま生きてしまうことがもったいないなって思う

人は楽しむために生きているのだから

私は、少しでもたくさんの人が
より良く楽しく生きられるように
手助けがしたいと思っていて
疲れたとき、もうダメだって感じたとき
確かな癒しに繋がるものが提供したくて

出張カメラマンという道を選びました

「生命の儚さ」って「あたたかさ」だと思うんだ

その価値はゆるぎなく力強い

だから人は人の温もり、つまり「あたたかさ」で無条件に癒されるんだと思う
それは頭で考えてとかじゃなくて、心の一番奥底では

「命の奇跡」を理解しているってこと

「あたたかさ」を感じることで無意識に「命の奇跡」に触れることができて
そしてそれを未来へ生きるエネルギーとして循環させていくって
めちゃくちゃステキなこと*

 

ちなみに

私が、こんなふうに思っているのは
過去に助けてもらったことがあるから

私は幸か不幸か小さい頃から命について
たくさん考える機会が多かった
子どもだった私の小さな心では受け止めきれなくて
どうしようもないまま過ごしてきた中で

ふとした出会いで救われたことがありました

救ってくれたのは実は家族じゃないです
(今はその人と家族です^ ^)

これだけ家族の絆を訴えておいて
私を支えてくれたのは実は家族じゃなかった

でもそれは確かに「人のあたたかさ」でした

「支えてくれたのが家族じゃなかった」からこそ
私は「人のあたたかさ」の力に気づくことができた
そしてそのあと大きな病気をして
自分の命の意味についてもたくさん考えた

正直、傷はまだ完全には癒えていないけれど
だからこそ感じられることがあって
それはきっと忘れてはいけない感覚

“そして、そんな私だから、込められる想いがある”

風の時代、そう信じて進んでいこうと思う

お読みいただきありがとうございました*